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株式会社新生設備
代表メッセージ

Message from the President ~ 未来へ ~ 水回りのプロフェッショナルから、
住まいにまつわるすべてのプロフェッショナルへ

株式会社新生設備
代表取締役 金山雄彦

はじめに

はじめまして、株式会社新生設備の代表取締役、金山雄彦と申します。この度は、弊社の求人に興味をお持ちいただきありがとうございます。

昭和42年の創業以来、地元長岡市を中心に本当にたくさんのお客さまとご一緒してまいりました。求人についてもありがたいことに多くの方から応募をいただいており大変光栄に思っています。お一人ずつお話をさせていただいておりますが、今一度改めて株式会社新生設備のことをご理解いただいたうえでお話しできたら、と考えこの記事を作成しました。

株式会社新生設備は全部で10人前後と、ごくごく小さい会社です。こういった規模の会社の場合、組織のことを知っていただくには、私のことを知っていただくのが一番よいと思っております。小さな組織であればあるほど、その組織の風土や価値観は社長である私と似てくるのではないか?と考えているからです。

そのため、このページでは株式会社新生設備の歴史や、社長である私自身がどのような人間なのかを事細かくお伝えしたいと思っております。是非、私のことを知っていただき、少しでもいいなと感じる部分がありましたらご連絡ください。

やんちゃな悪ガキだった小~中学生時代

私は新潟県の長岡市という街で生まれました。父は設備関連の社員(職人)をしており、私が2歳の時に独立し、現在の株式会社新生設備の前身となる金山設備を立ち上げました。

日本がいわゆる高度経済成長期と呼ばれる時代で、当初は空調関連の仕事が多かったそうです。個別に空調をつけるのではなく建物の一部で熱源を集中的に作り、その後に全体に届けるセントラルヒーティングという仕組みが世の中に出始めたころでした。そのために建物全体に配管を巡らせる必要があるのですが、機器本体に加えてそうした配管の取り付けなどを得意としていたようです。

一応社長の息子ということになるのですが、規模も大きくないですし家業を意識したことはあまりなかったような記憶があります。父も何も言ってこなかったですね。母親からは一応「跡継ぎなんだからね」と言われた記憶もありますが、大企業のような帝王学があるわけでもないのでのびのびと子ども時代を過ごしていました。

小さなころはやんちゃというかいたずらっ子でした。俗にいう「悪ガキ」ですね。爬虫類が嫌いなご近所さんの郵便ポストにカエルを入れた後に、その家の人に「郵便が来てましたよ」とポストを開けさせてリアクションを楽しんだり、友達にもいろいろといたずらをしかけたり。足こぎのペダルカーで友達を追いかけまわしていたりもしました。度が過ぎて友達の親御さんに怒鳴り込まれることもしょっちゅうでしたね。

いたずらをする時は自分が率先して友達を率いて行動するタイプだったと思います。今思えば小さなころから父が会社をやっていて、社員を率いて何かを成し遂げていく。という様を見ていました。一人ひとりにはそれぞれ得意があって、それを上手に集めて物事を成し遂げたほうが早く上手くいくし、何よりも楽しい。だからこそ自分にも自然とそういったしぐさが身についていたのかもしれません。その代わりと言ってはなんですが、ケチなことは嫌いで。家でゲットしたジュースやお菓子は必ず友だちと分けていました。いいことがあっても独り占めする、というのは性に合わなかったですね。いわゆる親分肌的なものは持ち合わせていたのかもしれません。

それもあってか、頭ごなしに上から何かを言われたり、強制されることは苦手でした。部活も野球部に入っていたのですが、先輩からの説教といった理不尽なことがどうにも腑におちずに…中学2年の1学期に辞めてしまいました。その分といっては何ですが高校に入ってからは気の合う同じ中学の仲間と草野球チームを組んで、早朝や休みの日に社会人チームと試合をしていたりしましたね。学生のころから大人みたいな趣味ですが(笑)

普通部活を辞めたらそのスポーツ自体もそれっきりということが多いと思いますが、仲間を集めて別の形でつづけるというのは自分らしいスタイルのような気がします。

続いていた悪さが落ち着いたのは中学3年生の時です。当時の担任の先生がきっかけでした。集団交換日記というクラスのしきたりがあって、それは5~6人で日記を回し定期的に先生が読み込んでアンサーを返す。というものでした。

僕はなぜだかそれを担任と1対1でやっていたんですね。ずいぶん前のことですから明確には覚えていないですが、絶対交換日記をしたい!というより、どうせやるなら同級生よりも少し特別な環境でやってやろうくらいの気持ちだったのだと思います。

ほぼ毎日担任と交換日記を行うのですが、この経験がとてもよかった。いろいろなことを日記を通して教わったのです。困っている人がいたら助けないといけないよ、弱っている人がいたら手を差し伸べないとだめ…といった、ごくごく当たり前だけれども人間として大事なことをたくさん教えていただきました。もちろんその先生は口だけではありません。学校生活でも悪いところはちゃんと叱ってくれるし、良いところがあればちゃんと褒めてくれる。私が窮地に陥ったらかばってくれることもある。そんな素晴らしい先生でした。そうした交流を繰り返すうちに、「あぁこの人のことは裏切ってはいけないな」と思うようになったのです。

真面目に勉強に取り組んだ高校時代、
将来を考えるようになった大学時代

その経験もあってなのか、高校時代はしっかりと勉強に取り組むようになりました。まったく勉強していなかった中学時代の3年間を振り返って、これはマズいなと思ったのです。といっても進学塾に通い詰めるといったことではなく中学時代の復習からはじめ、それが終われば、一日の授業の復習と次の日の予習を行うといった形です。

帰宅部だったので時間もありましたし、授業が終わればまっすぐ家に帰って机に向か ってFMラジオを聴きながらひたすら勉強をしていましたね。そこまで偏差値の高い高校でないこともあり、やればやるほど成績は上がっていきます。すぐにクラスでも上位5番目くらいになりました。そうなれば一気に勉強が楽しみになります。じゃあ1番目指すか、とさらに励んでいきました。

しっかりと成績を残せたこともあり、大学は金沢工業大学という学校に推薦で上がれることになりました。その名の通り理系学部が中心の大学です。推薦で行けることに加えて、小さい時母親から言われていた「跡継ぎだからね」という言葉が頭に残っていたのか建築関連の学科があることが決め手でした。大学時代に何かしらの技術を身につけられたら将来役に立つだろうという意識があったのだと思います。

キャンパスライフはひたすらバイト三昧でした。マネキン運びは夜中のジャスコのひたすらマネキンを運び入れるという仕事でしたが時給がとにかく良かったし、寿司屋のバイトは、そのお店が金沢で三番目に忙しいといわれるほどの繁盛店だったのでいつも活気に溢れていました。

なかでも一番面白かったのは機械いじり関係です。もともと高校時代に原付の免許を取ってから、アルバイトで貯めたお金を突っ込んでカスタムをするのが楽しみでした。その延長というわけでもないのですがバイク屋さんで働いたり、自動車板金の工場でお世話になっていました。総じてとても楽しかったし、充実した学生生活だったと思います。

将来を見据えて入社した会社で
建設業の素晴らしさを知る

卒業後はそのまま金沢市内に残り設備工事の管理会社に就職しました。設計から現場監督まで、設備関連の仕事は一通り受け持つ会社です。この頃にはすっかり将来家業を継ぐことを意識していました。

就いた仕事はいわゆる現場監督と呼ばれるものです。現場監督といってもどんな仕事か想像しづらいかもしれませんね。施工計画つまり工事の段取りを決めたり、現場の安全管理をしたり、発注した依頼主と打ち合わせをしたりと工事現場全体の品質やコストの管理が主な役割でした。工事全体が予定通りに進捗するように、全体のプロセスをコーディネート・統括することが求められます。

時代はバブル真っただ中で、とにかく忙しかった。今のような働き方改革なんて言葉もありませんし、労働時間なんて上限なしでした。残業とか休日出勤の管理もあってないような中で、超突貫工事の現場に結構回されて昼も夜中もなく、仕事仕事の毎日でした。今ではちょっと考えられない環境ですが、おかげさまで仕事はあっという間に覚えましたね。普通なら5年かかるような経験をおおよそ半分の期間で体験できたのではないかと思います。

この仕事はいいものだな、と思ったのもこの頃です。やはり最終的に何かしらの形に残るというのはかけがえのないものです。もちろんそれは自己満足ではなく、お客さまの笑顔に直結するから。自分たちが暮らす家や仕事をする建物が便利になる、快適になる、ということがこんなにも人を笑顔にするのだということ実感する日々だったと思います。

就職して3年ほど経ったころ、母が体調を崩し実家からそろそろ帰ってくるか?という話が来ました。確かに母のことは心配でしたし、ちょうど大きな現場も終わった時期だったので頃合いかなと思い実家に戻ることを決めました。

突然の社長交代、大反発を受けたISO9001取得

27歳で家業に戻り、現場管理など前職で身につけたスキルを活かしながら、営業など未経験の業務を覚えていきました。同業の色々な方にもアドバイスをいただき、少しずつ経験を積んでいた32歳の7月のこと。突然父からこんな話をもらいます。
「俺、辞めるから」。
当社は8月が決算月なのですが、これが締まり次第引退するというのです。父自身少し体調を崩していたこともあり譲るなら早い方がいいと考えたのでしょう。もちろん準備など何もしていません。かなり驚きましたが、いずれは来るものが今来たということ。腹をくくって受けることにしました。

もともと家業に戻ってからというもの、会社の課題について色々と思うところはありました。以前の会社は従業員が450名程度。支社もあるようなかなりしっかりした組織でした。それに比べると当時のわが社は特に組織化の部分で多くの部分が未整備でした。具体的には属人的な業務や、なぁなぁでゆるい基準が散見されました。ルールやルーティーンが明文化されていないため、その場その場で判断してなんとなく進めていくという風潮がはびこっていたのです。

そこで会社としてISO認証を取得することに決めました。耳慣れない言葉かもしれませんが、ISOとは略称で正式にはInternational Organization for Standardization(国際標準化機構)という非政府機関の名称です。

標準化という言葉の通り様々なモノやシステムの規格を定めたもので、作り方や完成品のクオリティがバラバラだと困ってしまうものに当てはめられます。「世界の国々が同じ品質、同じレベルのものを提供できるにしよう」という国際的な基準で、代表的なものにはカードやネジ、A4やB5といった紙のサイズ、非常口や危険表示などがあります。

ISOにはこれら製品とは別に、製品をつくるための組織活動について定めた「ISOマネジメントシステム規格」と呼ばれるものが存在します。会社では大勢の人が同じ目的に向かって動くわけですが、社長が全従業員のすべての行動を見張るのは不可能です。そこでそれらを管理する仕組みやルールをつくり、それに則って全員が行動することで生み出される製品の品質を一定のものにしようという考え方で生まれました。

先ほどもお話したように、当時の私たちの会社には定められたルールがほとんどありません。配管をメインにした職人集団として技術に自信はありましたが、その中身は属人的。品質については一人一人の技量に委ねられていました。私自身現場管理の経験にはそれなりの自信はあるものの、生粋の職人ではありません。施工について踏み込んだ話は出来ず、実質的には職人さんにお任せという状態を続けていたという引け目も感じていました。そこで、どのような業界でも普遍的に必要とされる内容がまとめられたISO9001と呼ばれる認証を取得することにしました。

すべてはお客さまとの品質の約束を果たすため

念のためにお伝えしますが、ただ資格が欲しい、箔をつけたいといった理由でISOを取りに行ったわけではありません。自分が社長になったからには会社を一歩でも前進させなければならないと思っていました。そのためにはそれまでの家族経営的な集団から、会社らしい組織にする必要があったのです。

ただただモノづくりが好きだった学生時代が終わり、社会に出て建築業という仕事のすばらしさを知った私は、現場管理の時に感じたやりがいやお客さまに喜んでいただく経験、しっかりした品質のものが出来上がっていく様を間近で見られる幸せをとても大切に思っていました。そしてその幸せをこの会社でも永く続けていきたいと思ったのです。

何よりお客さまに対して品質のお約束をしたいと考えていました。それには担当する職人によってご依頼に対する品質にばらつきがあったり、新人の成長スピードが遅くなることで納期に影響が出るといったことは絶対に避けなければなりません。

ちょうど近隣の会社で同様にISO9001取得を検討しているところがありました。そこで共同で認証取得のコンサルタントを雇い取得に向けた活動を開始することにしました。しかし、始めてみるとこれが想像以上に大変です。品質管理の手順やマニュアルを逐一作成、文章化しなければなりません。大量の書類が発生するとともに、それらの管理や保管方法も細かく決まっているので全体を把握するだけでも一苦労でした。

私たちはいわば職人さんの集まり。パソコンを触ったことがある人の方が圧倒的少数です。ということは、まずはパソコンをいじる勉強をする必要があるわけです。当然現場は現場で動いているので、1日の施工が終わった後に会社に帰ってきて残業で慣れないパソコンをいじらないといけません。

そもそも職人さんは、そういったことが苦手。体や手を動かす方が得意だからこの仕事を選んだというタイプの人が多い世界です。彼らにとってはパソコンを使った書類仕事など苦役でしかなかっただろうなと今でも思います。当然こういった動きに反発する人もいましたし、それどころか「こんなことやって何になるんだ」と退職する人まで出るようになりました。

ただそれでも私はこのプロジェクトを止めることはしませんでした。これからの時代にはこのような仕組みを取り入れていかなければ、誰も発注してくれなくなる。私にはそんな確信があったのです。なぜこの認証が必要なのか、これを取ることで自分たちや会社がどう変わっていきたいのかを丁寧に説いて回ることをひたすら繰り返していました。

結果、無事にISO9001を取得できたことは自分にとって一つの自信になりました。認証を取ったことそのものではありません。取得はあくまで手段。取得を通じて、お客さまに1つ約束するものができたという自信です。自分たちは何を大事にして、何を約束し、それは何によって裏付けされているのかを言語化できたことが大きかったと思います。思い出すのも苦しい大変な経験でしたが、一緒に動いてくれた従業員には今でも感謝しています。

私たちのお客さまは半径2km以内にいる

現在の事業の中心は地域のお客さまに対する、キッチンやお風呂、トイレといった水回り全般の工事や修理になります。一時期は自治体の入札案件を多く取り扱っていましたが、受注の先読みが難しいことや、必ずしも低い金額を出したからといって案件獲得に繋がらないことなどを理由に今はほぼ扱っていません。私たちのような規模の会社にとって魅力的な部分があることも確かですが、そのような不安定なものを頼りに経営を行っていくのは望ましくないと判断しました。

自分たちにとって原点はやはり地域のお客さま。頑張れば頑張るだけ信頼という形でしっかりお応えいただけるのも魅力です。地元に立ち返った超地域密着営業を10年ほど前から行っています。具体的には半径1.5kmから2kmを一つの基準に、このエリアに住む戸建てに住む皆さまを対象にしています。

2kmなんて歩いても30分ほどです。戸数でいうと3000件ほどの狭いエリア。それで成り立つのか?と感じた方もいるかもしれません。ただし、この距離感が大事なのです。決して広くはないものの、その分、この半径のお客さまに対しては他の誰よりも徹底的に必要な存在になることが肝なのです。

先ほどもお話しましたが、水回りとはすなわち、キッチンやトイレ、お風呂といった設備を指します。つまり壊れたり不調を起こすと、とたんに日常生活の快適度が下がってしまう箇所なのです。だからこそ、お客さまから一声かかったらすぐに駆けつけられる距離にいなければなりません。今すぐ直してください、というオーダーが多い水回りだからこそ品質はもちろんスピードを大事にしています。そうすることで発注して下さったお客さまからのリピートも増え、口コミという形で新たなお客さまも増えていく。こうした良い循環を生むことで、限定されたエリアのナンバーワンになり、ビジネスを成立させていくことができるのです。

このモデルを実現するためには、「水回りといえば株式会社新生設備」というイメージを地域の方にしていただく必要があります。そこで当社では毎月ニュースレターと呼ばれる折込チラシのようなものを該当地域にお配りしています。「笑顔でありがとう通心」と名付けていて、くらしに役立つちょっとした知恵みたいなものも載せているのですが、これを社員で手分けしてポスティングしているのです。

この作業を外注しないのは、自分たちのお客さまがどんなお宅に住んでいてどんな暮らしをされているのかをその目で見てほしいから。直接手渡しできれば顔も覚えていただけますし、過去にご発注実績のあるお客さまとは「最近どう?」みたいなお話もできます。町の水道屋さんとしてこれからも愛される存在になっていけたらと思っています。

水回りのプロフェッショナルから、
住まいにまつわるすべてのプロフェッショナルへ

これからの株式会社新生設備は水道設備という強みに加えて、住まいにまつわる幅広い領域でお客さまのお役に立っていきたいと考えています。すでに水回りをはじめオール電化や太陽光発電設備など総合的に住まいの相談に乗ることができる体制ですが、なかでもリフォーム関連の事業を伸ばしていきたいと考えています。

日本はすでに人口減少の段階に入ってきています。長い目で見れば新築の数は減り、今ある家に手を加えながら住んでいくという流れが強くなるでしょう。新潟県長岡市という我々が向き合うべきエリアに限定すれば、なおさらです。その時に屋根、壁、駐車場、庭、窓、ドア、扉、リビング、キッチン、お風呂、玄関など住まいのあらゆる箇所に関わっていける存在になりたいのです。

私たちにはその可能性が充分にあると思っています。なぜなら水回り工事とはお客さまの家の中に直接入っていける仕事だから。さらに配管といったお家の裏側を直接目にできる仕事でもあります。お客さまのお宅の中で、暮らしにおいてどのようなことを大切にされているのか、住まいにどのようなことを求めているのかを見たり聞いたりすることができる存在なのです。

そんな時「それなら、うちで対応できますよ」と言えたら、それが一番強いと思いませんか?従業員には日ごろから、一度ご依頼いただいたお客さまは一生のお付き合いだと思って臨みなさいと伝えています。この地域の半径2km、3000件のお住まいの悩みはすべて株式会社新生設備が解決する。住まいに関わることならどんな小さな悩みや疑問も相談できる、いわば住まいのコンビニエンスストアを目指す。そんな想いで日々の仕事やお客さまに向き合っていきたいと考えています。

働き方を見直し、誰もが働きやすい環境を整備

株式会社新生設備では今、これからの地域を支えてくれる職人さんを募集しています。職人さんというとずいぶん前から3Kや5Kといったキツイ仕事のイメージがあるせいか、若い人から敬遠される傾向があるようです。ただし、実際の現場はもはやそうではありません。働き方がどんどん見直されている昨今、当社も基本的に残業や休日出勤は極力発生しないように運用しています。今では定時を過ぎると会社の電話が鳴っても対応しないように変えました。お客さま商売ですし、それで失注する可能性を考えないといったら嘘になりますが、その電話をきっかけにいらぬ残業が増える可能性があるのであれば経営者としては従業員の働きやすさを優先するべきだと考えています。

コロナ前までは社員みんなで参加する催し物も頻繁に開催していました。国営越後丘陵公園で開催されるリレーマラソンは42.195kmを10人で走るのですが、ここを協力会社さんとの混成チームで参加していました。4月にはお花見を行い、ほかにも夏場に行うバーベキューも毎年の楽しみでしたね。生ビールの樽を持ち込んで、家族やお客さまにも参加していただいてかなり盛大に行うのですが、こうした息抜きや交流が仕事にも良い影響を与えると思っています。働くことと遊ぶことはどちらもバランスが大事。近いうちに復活させられるといいですね。

業務を通じて様々な資格を取得できるのはこの仕事の魅力と言えるでしょう。設備工事には電気をはじめとして、ガス・水道・空調といった幅広い関連領域があります。資格があれば対応できる業務も増えますし、給料にも反映されます。いわゆる手に職をつけるわけですから人材としての市場価値もあがるでしょう。所得に必要な実技練習は資格保持者がマンツーマンで指導し、各資格に合格した際には補助として取得費用を会社が持つという制度も存在します。資格によって自信をつけ、その自信を携えて現場で腕を磨き、スキルを身につけ、自分を高めていってほしいと思っています。

職人はこれからの日本で価値があがる職業

職人さんとして伸びる人にはいくつか共通点がありますが、その一つが几帳面さ。

私たちの仕事は壁の中や床下など、最終的には目に見えなくなる部分がほとんどです。だからといって適当にやってしまうと、特に水などは確実に漏れてきてしまう。どこから漏れているかは調べればわかるわけですから、即信用問題になってしまいますよね。一度お邪魔したお宅は一生のお客さまになると思いなさいという話をしましたが、その意味でも見えない場所でも手を抜かずきっちりと仕事ができる人が向いているでしょう。

逆に、それさえあれば優秀な職人さんになる素地は十分だ、とも言えます。配管をはじめとした職人さんは経験がある人の方が少ないです。皆さんの周りで、配管工のアルバイトをしている人は恐らく一人もいないですよね(笑)。必要なことは私たちがすべてきっちりお教えしますので、そこは安心してもらっていいと思います。

少し前には夢物語だったAIがすっかり身近なものになり、同時にあらゆる職業で人出不足が叫ばれています。個人的には、これから迎える時代において職人と呼ばれる人の価値は確実に上がっていくと考えています。いわゆるデスクワークと言われる仕事の多くはどんどんとロボットやAIに置き換えられていくでしょうが、職人の仕事はまだまだロボットでは代用できないからです。仕事における部分的な個所や確認作業を機械が代わりに行うようにはなるでしょうが、最終的な確認や全体を俯瞰して品質を担保するのは人間であることに代わりはありません。職人もまたロボットやAIを使いこなす側に回るのです。当然所得もここ数年でぐっと上がってくるでしょう。これからの時代に大変有望な職業だと私は信じています。

終わりに

先ほどからお話している通り、私たちは地域にとことん密着したビジネスをしています。すなわち、それは地域のお客さまの人生に深くかかわっていることに他なりません。お客さまが毎日使う機材や設備を取りつけたり、修理する仕事なのですから。そうした毎日の中で経験を積み、資格を取得しながら自分にできることを増やしていく。そんな仕事にやりがいを持てそうだなと感じる方はどうぞお気軽にお問い合わせ下さい。

長くなりましたがここで私のお話はいったん終わりにしたいと思います。ちょっと違うなと思われた方は仕方ありません。皆さんの就職活動が良いものになるよう、心からお祈りしております。少しでも株式会社新生設備や、私に興味をお持ちいただいた方はぜひお話しましょう。

今までのこと、これからのことを皆さまとお話しできることを心から楽しみにしております。最後まで読んでいただきありがとうございました。

創業 昭和42年4月
資本金 2,000万円
代表者 金山 雄彦
従業員 20名
事業内容 住宅・ビル・工場の各種配管設備、空調・衛生・給排水及び関連事業、道路配水管敷設、消雪配管設備、舗装工事、さく井工事
所在地 〒940-0844
新潟県⾧岡市大町3丁目102番地1
連絡先 TEL:0258-33-0506 (代表)
FAX:0258-33-0550

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